六連星を見てきました。
「ああ、もうここへ来てはいけないし、来ることはないんだろうな。」
銀テープが鮮やかに舞い、幸せそうに笑い合う6人と5万5千人のなかで、ふとこんなことを思いました。
公演中、とあるダンス曲で3人と3人でセンターを分けるはずが誰かが立ち位置を間違ってセンターへ入ってしまい、客席から見て左側が1人分空いてしまった瞬間がありました。2時間越えのコンサート中のほんの数秒のほんの些細なミスです。ぼうっとメンバーの人数を数えました。1,2,3,4,5,6……。その瞬間、あるメンバーが言った「6人を見て、違うなと感じたらすばるくんの夢を応援してあげてください」という言葉が脳裏をよぎりました。ああ、わたしは6人の関ジャニ∞を応援できないんだ。
わたしは、わたし自身を、eighterだと思っていました。関ジャニ∞が大好きで、その中のすばるくんが大好き。関ジャニ∞のすばるくんだから好きになったんだ、と。だから、時間はかかるかもしれないけれど、気持ちが落ち着いたら6人とすばるくんを応援するつもりでした。
その挨拶には全てを否定された気分でした。脱退したすばるくんは悪者、そのファンは邪魔者。いつまでも辞めた人間に縋るな、俺らに着いてくるなら渋谷すばるの存在は忘れろ、と。
「eighter」って、なんなんでしょうね。たぶんわたしはもうeighterではないんだと思います。関ジャニ∞と名のつくグループを見て、負の感情に苛まれるようになってしまいましたから。すばるくん、ごめんね。あんなにも再三「これからの関ジャニ∞をよろしくお願いします」と言ってくれていたのに、約束守れなかった。本当にごめんなさい。
公演中、辛くて悲しくてどうしようもないとき、手元のすばるくんを眺めました。端正な顔、連なる黒子、力強い眼差し、キュッと上がった口角。「すばるくん」と声を掛けても、6人のまるで排他的な態度を見ても、無機質なそれは、怒ることも悲しむことも慰めることもありませんでした。バカだなあ、と思いながらも、縋ってしまうのは目の前の6人ではなく、手元の団扇にプリントアウトされた大好きなすばるくんでした。
会場内に、すばるくんのファンは居ないに等しい状況でした。横も、前も、後ろも、隣のブロックも、前のブロックも、後ろのブロックも、みんな6人のファン。すばるくんとわたしは、ふたりぼっちでした。
彼らの新曲に、「誰かじゃなく君に届け」という歌詞があります。それは、横山裕のファン、村上信五のファン、丸山隆平のファン、安田章大のファン、錦戸亮のファン、大倉忠義のファンへ向けられたもので、その暖かい空気は、わたしを、渋谷すばるのファンを、包んではくれませんでした。
6人は確かに輝いていました。前を向いて歩もうとする希望の光に満ちていました。彼らのファンが放つペンライトの海に溺れながら、何度も数えた星は、確かに六つでした。
あなたは六連星を知っていますか。プレアデス星団の和名で、六つの星が集っているのでこの名前が付くそうです。
別名を、六つの星を統べることから「すばる」といいます。
「一番星のような君のいない世界で僕は今星を見ていたよ」涙の答え 関ジャニ∞ - 歌詞タイム
■
すばるくんに会いたい。
他担はみんなコンサートへ行けば自担に会えるのに。
わたしはすばるくんに会えない。
すばるくんに可愛いって思われたくて、無頓着だったおしゃれを始めた。すばるくんに可愛いって思われたくて、一度もしたことがなかったメイクを始めた。すばるくんに会いたくて、ひとりで東京へ行った。すばるくんにたくさん会いたくて、東京での一人暮らしを決意した。
全てすばるくんに捧げて来た。青春やすずめの涙ほどのお小遣い。全てすばるくんに影響を受けた。その捻くれた性格、好みのタイプ、髪型やファッション、好きな食べ物、嫌いな食べ物、嘘をつかない生き方。
もうすばるくんはどこにもいない。いや、どこにもいないと言うと嘘になる。でもどこにもいない。国内にいるのかそうでないのかも定かではない。これからどうなるのか、どうするのか、私たちの前でまた歌ってくれるのか。なにもかも分からない。
死んでしまいたい。すばるくんがいない世界。今までだってどんな地獄も味わって来た。でもそれ以上に今が、すばるくんがいないことが、悲しくて悔しくて腹立たしくて辛い。すばるくんのこれからを考えると不安で堪らなくて眠れない日もある。ふとした時に彼を思い出して涙が頬を伝う日もある。自ら脱退を選んだくせに、最後の言葉は「eighter」。捻くれ者の天邪鬼。まさに「非王道」の王子様は中学一年生、12歳の少女の心を奪い、そのまま握り締めていなくなってしまった。心だけがスカスカのまま、19歳を生きている。
自担のグループ脱退に伴い、睡眠と食事が疎かになったオタクがバイト先でぶっ倒れて救急搬送された話。
こんにちは。関ジャニ∞の渋谷すばるくんが大好きな18歳フリーターです。脱退会見があった2018年4月15日から振り返ると一生終わらないので気になる方は以前のブログでその熱量を測っておいてもらえると嬉しいです。
事の発端は全て2018年4月15日なんですけど、今回の件に限って言うと発端は6月23日24:30頃です。その日は渋谷すばるくんのレギュラーラジオがありました。いつも通りの放送時間、いつも通りの放送内容でした。
フィナーレ宣言を除いては。
来週(6月30日FM NACK5にて24時〜 お時間ある方は聞いてみてください)でレギュラーラジオが終わってしまう。その日は寝ることも泣き止むことも出来ませんでした。ツイッターで闇を垂れ流し思い出したように涙が溢れ明日になるのが怖くて些細な睡魔にもうなされ、結果バチバチに浮腫みきった顔で職場へ出勤しました。
それまでも一人暮らしのせいあって不規則だった食事、睡眠がその日以来一切面倒になりました。一日のうちでも一食食べられたらいい方。そして朝方にやっと寝付くような5日間でした。
6月28日。その日もやっと眠れたのは朝7時でした。なんとなく気分が悪くて体が怠かったのを覚えています。熱はなくて、頭もお腹も痛くありませんでした。ただ、すごく憂鬱でなんとなく具合が悪い。今日はシフトに入りたくない。そんな日でした。憂鬱な気分を抱えたまま出勤しましたが、幸い仕事中はめまぐるしい忙しさのおかげで、すばるくんどころか体調不良のことも忘れて取り組むことができていました。
15時ごろだったと思います。用事があってバックヤードへ入った瞬間、突然目の前が床になりました。今まで過呼吸はあっても倒れたことはなくて、どうしたらいいか分からず、すぐに起き上がり仕事に戻ろうとしました。でもなぜか立ち上がれない。とにかくお客様から見えないところへ移動しようとしてもその移動中にも転げ回ってしまいました。やっと移動してゴミ箱にもたれても(ゴミ箱にもたれるな)、何度も何度も床に吸われるように脱力していました。
声を掛けてくれた先輩方に無意識に「大丈夫です、大丈夫です。」と言っていたのを覚えています。いやどう見ても大丈夫じゃないだろ。
それから休憩室でも何度も床に倒れ、救急車が到着する頃には飲食店特有の油まみれの床にその汚れが体中に付いた油まみれの女が寝っ転がる地獄絵図が完成していました。
病院で採血やらCTやらMRIやら機械で色々するやつをたくさんしました。そして、医者からこう言われます。
「演技じゃないよね?」
どこも異常がなかったそうです。貧血でもなんでもない、考えられるのは演技しかない、こんな症状が起こるのは見たことがない、どんな病気でも説明がつかない。尋問みたいに責められました。
いやこんなこと自分で言うのもアレですけど!!!!演技だとしたら救急車呼ぶの止めるでしょうが!!!!なんで塩で米食う極貧女がわざわざシフト中に金のかかることすんねん!!!!クソボケか!!!!病院送りにしてやる!!!!(時間のない方はここだけ読んでください)
点滴繋げたまま殴りかかりそうになりましたが堪えました。MRI終わりの耳鳴りが激しいボヤけた脳内で「絶対ツイートしてやる…」って考えてました。あとお母さんに連絡入れた時の「今はもうケロッと元気で」ってのも忘れねーからな。お前の判断で人を元気にするな。医者だけど。
その医者が演技を疑った癖に少しバイトを休んで体調を整えろと言うので5日ほど休みをもらってそのままその日の夜行バスで実家に帰りました。米も肉もお菓子もある実家サイコー!
そして昨日の夜、当時居合わせなかった職場の店長から「よく(実家に)帰れたね」とちょっと怪しんでる感のある電話が来ました。計画的犯行を疑われるのも無理はないんですけど、さすがに救急搬送された人間を放っておく親もいないと思いますよ。店長、いい人なんですけどね。あまりにも速攻で帰ってたらそりゃ驚くよね。
診断としては「ストレスか心労じゃない?(じゃないってなに?)」と言われました。「思い当たることある?」と聞かれ、まともな思考ができないオタクはご丁寧に「ジャニーズの渋谷すばるくんが関ジャニ∞から脱退する」旨を泣きながら話し、医者に乾いた笑いをさせる羽目になりました。
これを読んでくれたオタク、いつか二人を分かつ日が来ても絶対に原因不明の失神だけは避けていただきたい。保険適用後でコンサートチケット2枚分くらいの出費でした。
私から伝えたいことはひとつ。
どれだけ推しや担当の脱退・卒業が辛くても食事と睡眠はしっかり取ろう!
以上です。ありがとうございました。
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悲しいほどに、最後まで彼らは“関ジャニ∞”でした。
わたしはあれほど不安であれほど安心した土曜夜を知りません。
突如突き付けられた「渋谷すばる、明日15日に緊急会見へ」の見出し。それまで某金曜日にて報道されていたそれは、私たちにとっては所詮「ガセネタ」でした。しかしわたしはとあるツイートを見かけます。
「すばるくんは本当に脱退するのかもしれない」
そんな空気がファン達の間に漂い始めました。しかしソースはサイゾー。あのサイゾーウーマンです。まさか。いやまさか。
その日の夜、わたしは新居の内見へ向かうため夜行バスに乗車していました。今日のANNとスバラジは聞かなければならない。大倉くんが否定してくれるかもしれない。スバラジの予告は“規制音出まくり”といつも通りの様子だったからきっと大丈夫。
そして、それらは全て「いつも通り」でした。くだらないメールに笑って、ツアーとアルバムの予告をして、「関ジャニ∞渋谷すばるでした」の一言で終わりました。その後切り替えたANNでは転職を考えているリスナーのやっちまったTELにやけに真剣に答える大倉くんが印象的でした。でもそんな日もあるのかなあ、と呑気に聞いていました。
2018年4月15日 午前9:35
わたしはこの日付と時刻を一生忘れません。
関ジャニ∞のメンバーから、大切なお知らせがあります。
本日午前11時より、下記URLからファミリークラブ会員サイトをご覧ください
心臓の音が脳味噌に響きました。どこで呼吸をしているのか、どうやって立っているのか、分かりませんでした。そして、11時ちょうど。サーバーダウンした会員サイトを見ていられなくなり、ツイッターのタイムラインを除くと、サイトを見てきたであろうファンの方の一言、「嘘でしょ」というツイート。全てを悟りました。
正直な話、それからの記憶はあまりありません。とにかく、原宿へ行かなければ、と思いました。どう乗り換えてどう歩いて行ったのか覚えていません。行き慣れたはずのジャニショへの道順を間違えるほどにわたしは焦り、戸惑い、混乱していました。
泣きながら会計を終えると、手にしていたのはたった55枚の写真でした。すばるくんの個人写真全てと関ジャニ∞の集合写真全てです(後に各メンバーとの写真を買い忘れたことに気付きましたがそれは各メンバーの担当さんに買ってほしい、と後悔の気持ちに折り合いをつけました)。
会見を見ることができたのはそれから1日後、月曜深夜でした。それまではWSで写真が出た瞬間に涙が溢れ、音声が聞こえて来ようものなら隣の部屋へ走って逃げるような状態でしたが、なぜかその時は落ち着いて見ることができました。しかし、わたしの脳へ流れてきたのは五十音の羅列と映像でした。脳がパンクしたらこうなるんだ、とぼんやり考えていました。
会見中、「脱退」の言葉を誰も口にしませんでした。ファンのためを思う、残酷なほどに優しい、わたしの大好きな関ジャニ∞でした。
涙を浮かべ今にも倒れてしまいそうに「今日という日が来なければよかった」と語るヨコ。負の表情を見せず笑顔で「すばるくんが好きすぎる」と口にしたマルちゃん。「この会見に出るのが嫌だった」と唯一すばるくんへ嫌味を吐き不貞腐れた様子の大倉くん。「門出」と疲れ切った顔で笑みを浮かべた亮ちゃん。その場には不在でしたが、「背中を押すべき」と自分に言い聞かせるようなコメントを寄せたヤスくん。こんな時でさえ、涙も見せず、負の表情も浮かべずに「尊重する以外のなにものでもない」と語って“村上信五”を貫いたひなちゃん。
そして「自分自身の責任下で今後の人生を音楽で全うすべく、海外で音楽を学び、今後さらに自分の音楽というものを深く追求していきたい」と真っ直ぐに前を捉え、ひとつひとつ言葉を紡いで、目に涙を浮かべながら語ったすばるくん。
どのメンバーも、わたしがよく知る大好きなメンバーの、等身大の姿でした。
村上くんは会見中、「口下手な男一人で立たせるのは心配だ」と口にしました。彼はすばるくんにとても甘い節があります。村上くんに限らず、横山くん、丸山くん、錦戸くん、安田くん、大倉くん、全メンバーが今まですばるくんを守り、囲い、甘やかしてきました。現に、“イチ男の決断”をした成人男性の会見に全メンバーが揃うのが証拠なのかなと思います。
それが枷だったんでしょうか。
すばるくんのために始まったバンド活動。大倉くん、横山くん、村上くん、丸山くんはすばるくんに勧められたり、影響されたり、またはすばるくんをエイトに留めるために音楽を始めました。丸山くんはすばるくんがソロライブで「僕以外のベーシストで気持ちよく歌う姿に嫉妬した」と、嫌いだったベースに向き合ってくれました。すばるくんの走る方向へ歩みを揃え、やっと認められてきて、やっと全員の足並みが揃ったところでした。
「捨てられた」と思いました。ファンも、メンバーも、すばるくんの夢には必要ないと言われた気分でした。
まあ、すばるくんが実際どう考えているかなんて、きっと一生分かりません。彼の口から発せられた言葉しか私たちは知り得ることができませんから。
すばるくんは、関ジャニ∞での活動を「幸せだった」と振り返りました。メンバーとの1番の思い出を「楽屋でバカやって笑い合ってたこと」だと語りました。
ひとつだけ、分かること。
家族であり、親友であり、戦友であり、ライバルだった彼らをすばるくんは愛していました。関ジャニ∞というグループ、横山裕(候隆)、村上信五、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義、全てを愛していたんだと思います。これだけは揺るがない事実です。
5/11 追記
アーティスト写真が更新されました。きっとすばるくんにとって、関ジャニ∞としては最後のアーティスト写真になります。
それはそれは、素敵な家族写真でした。
無題
ここ数年、私の“自担”である渋谷すばるは今まででは考えられないほどにアイドルだった。
客席に笑顔を見せ、手を振り、パートを忘れてしまうほどにファンサービスをしていた。カメラ目線も沢山してくれて、難しい振り付けも頑張って踊ってくれていた。ああ、アイドルとして生きようとしてくれている。私たちの思いがやっとすばるくんへ届いた。アイドルという職業に折り合いをつけてくれた。
勘違いだった。
全て伏線だった。
嵐の前の静けさ。まさにその通りだったのかもしれない。私たちも本当は何か分かっていたのに、見ないふりをしていたのかもしれない。
すばるくん、
担当呼びが嫌いなのにずっと渋谷担と名乗っていてごめんね。
ダンスが嫌いなのに踊る姿を望んでごめんね。
ファンサービスを貰って喜んでごめんね。
団扇を持ってごめんね。
すばるくんの音楽を理解してあげられなくてごめんね。
私たちはアイドルを選べる立場にある。アイドルは常に選ばれる側だ。彼の音楽が理解できないなら別の誰かを応援すればいい。彼の考えを受け入れられないなら別の誰かを選べばいい。
無理だった。どうしてもわたしはすばるくんじゃないとダメだった。わたしはすばるくんに救われてしまった。選ばれてしまった。初めて見つけた時から「お前は俺のファンだ」と言われたような気がしていた。
すばるくんへ
あなたを追いかけて6年になります。中学一年生、12歳だったわたしは高校を卒業して18歳になり、今年から社会人として働きます。あなたに沢山会うために上京を決めました。
今はまだ何も信じられない。眠るたびに夢でありますようにと願ってしまうし、起きるたびに現実に戻ってしまったと涙が溢れる。大好きだったはずのあなたへ負の感情が湧いてしまう。行かないで。捨てないで。エイトじゃ叶えられない夢なの。
それでもどうしようもなく大好きです。嫌いになんてなれない。わたしは今までどんな時もあなたに救われたから、わたしに今出来ることはどんなあなたも愛すること。あなたの望むファンで在ること。あなたが欠けた未来を、生きること。
「一生あなた達のアイドルです」と言ってくれてありがとう。手付かずの夢に今まで手を付けずにいてくれてありがとう。エイトでの活動を、幸せだったと言ってくれてありがとう。
最後までファンに夢を見せ続けてくれたすばるくんは悲しいほどにアイドルでした。
すばるくん、本当にありがとう。大好きです。そして、あなたの望むファンでいられなかったこと、本当にごめんなさい。じゃあどんなファンを望んでいたかなんて分からないけれど、きっとわたしは“本当のファン”ではなかった。もしもわたしが死んだら、どこかの世界線で生きている「関ジャニ∞ 渋谷すばる」を探しに行きます。次の人生でもあなたのファンでありたい。大好きです。